住まいのコンサルタント!こもだ建物 - 2005/09

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小冊子「欠陥住宅をつかまないポイント!」

不動産・建設業者との交渉の前にお読みください。知ってると知らないとは大違い!10のポイントを理解すれば、主導権を握るのはあなたです。
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2005年9月
       
 

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2005年09月15日(Thu)▲ページの先頭へ
ローンの数字縮小法

昨日は銀行主催のマージャン大会があり、定休日にもかかわらず浦和まで出てきて、出席。

10位で賞品もらったから、もとはとりました。

賞品はかみさんに奪われちゃったけど、寿司も出て、ビールも出て、

まあ結構楽しめました。

一昨日、ソネットから大塚商会のプロバイダーの切り替えがあったのだけど、

今朝立ち上げたら駄目ジャン。

メールも受けられない。

頭にきて、さっそくクレイマー。

PC音痴なおじさんは、電話もFAXもコピーも印刷機もパソコンも全部大塚商会にすれば、全部、接続設定ができるからというので、

新規で6年のリースに切り替えました。

私はお馬鹿???

54,600円×12×6年=3,931,200円。

なんだクラウンが買えるじゃない?

こう考えるとけっこうな金額だ。

住宅もそうです。

「月々6万円で住宅が手に入ります。」なんてのも

60,000×12×35年=25,200,000円

月々だと簡単そうだけど支払い総額はすごいよね。

だからきちんと吟味しなければいけません。

どうも数字縮小法にうまくやられたかなあ?

今と比べての利便性をきちんと認識しないと宝の持ち腐れ。

なんかねえ、貧乏会社に必要だったか知らん??

なんせ機械音痴で、いいのが入っても使いこなせず。

営業マンは納品するとなかなか来ない?

まあこんな感じですかね。

おーい、メール!

いつ使えるんだい。

設定なんか自分じゃやれないよ。

全部やってくれる約束だったのだから・・・・・。

「私ま〜つは、いつまでもま〜つは、たとえあーなたが振り向かなくても・・・・」

いや、早く来て!!




2005年09月12日(Mon)▲ページの先頭へ
市街化調整区域の開発許可って何よ!!

最近日記もサボっていましたが、

「ホームページを見て電話しました。」

なんて問い合わせがあったもんだから、

また少しPCいじっています。

相変わらず、おじさんはパソコン音痴。

でもまだメルマガは書いていません。

なんかねえ〜。

ネタがないわけじゃないけど、面倒なんだよね。

今、うちに来ている若い人が、「既存宅地の確認申請」にかわる

開発許可のことを簡単なチラシにしようとしてワードで作っている。

そう、私はただケチをつけるだけ。

この線引き前宅地の開発許可もさいたま市は来年の5月まで。

だから油断していると、「既存宅地で大丈夫だ。」と思っていた土地に家が建たなくなる。

知らないと怖い話だよね。

実は最近地主さんの土地で、建てられないと思っていた土地の調整の開発許可を取った。

駄目だと思っていた理由は、

調整区域の300坪くらいの土地に、半分は長屋が建っていて、

半分は駐車場になっていた。

だから役所では、

「昭和45年以前から建っていた半分の土地は既存宅地として認めるが、

駐車場の部分は既存宅地とは認められない。」

ということだった。

ってことは、半分の土地は家が建たないということになるので、

土地の価値がおお下がり。こりゃ大変です。

税理士の先生から「土地家屋調査士が、半分の土地が駄目だというだけど、なんとかならないか調べてくれ!」

ということで、見つけました。

貸家建てた時の農地転用許可書。

ちゃんと全体で農地転用出していました。

この農地転用許可書が証拠になって開発許可を取ることができました。

さいたま市ですから、家が建てばそれなりの値段で売れます。

相続税を払うときのストックにするそうです。

これは、今ちゃんと許可を取っておかないと来年の5月過ぎればおじゃんです。

ちゃんと三筆に分筆して、3軒家が建つように許可を取りました。

めでたし、めでたし。

こういうことも知らなきゃ、時の過ぎ行くままに、

大きな財産の損失になりますよね。

で、チラシは無事にできるか知らん???

あっ、証(あかし)は自分で調べて用意しなければならないので、

ちょっと専門知識が必要です。

若い気の利くハウスメーカーに頼んで見ては??

うちの出向社員は、きっと面倒がらずにやってくれますよ。

あっ、自分が監督しなきゃいけなくなるか・・・・・。

それも大変だよねえ〜。

私は行政書士もやっているので、しっかり報酬はいただきましたよ。

じゃあまた。



2005年09月11日(Sun)▲ページの先頭へ
プロフィール表

この間、大学の友達で今年からソ○ー生命に入ったヤツが遊びにきた。

ちゃんと義理堅いから私は医療保険は入りましたよ。

で、最近成績がぱっとしないんだって。

まあ、初めての個販営業だから壁はあるよね。

そこでアドバイスしたのがプロフィール表。

保険の販売は色々制約があるから、保険商品のPRチラシは勝手に作れない。

でも、自分のことを知ってもらうプロフィール表は作れるはず。

最近サボっているけど、この日記も、ニュースレターも、

まあ、はっきり言えば会社が小さいから、

自分を理解してもらうためにやっている。

「ニュースレターが書けないんなら、プロフィール表を作って、名刺と一緒にパンフレットとあわせて渡したら?」と言ったんだ。

そしたら、「やってみる。」と言うことなので、

言い出しっぺの私が作らないわけにいかなくなったので、プロフィール詳細と言うのを作ってみた。

最近サボってアクセスもたいしてないから公開しちゃえ!

読んだらひくかな??又身内のヒンシュクあるかも??
こんな感じで作ってみた。



<詳細プロフィール>

195○年7月のお昼頃、群馬県伊勢崎市で無事に生まれる。
生まれた時の記憶はない。

父親が伊勢崎の人で母親が埼玉県の深谷の人だったので、
二男の私は、父親の実家で生まれたらしい。
だから長男の兄は子供の頃、東京生まれを自慢していた。
物心ついたときは埼玉県の深谷市(長葱が有名)にいて、
家は借地の小さな家だった。

「飴ちゃんち!」と言われていたので、うちは飴屋をやっていたらしい。
だが、その時の記憶は私にない。
母に、「なんで菓子屋をやめちゃったの?」と聞いたことがあるが、
「お前達がみんな食べちゃうから、商売にならなかったんだよ。」と言われた。
お爺ちゃんは菓子職人でよくカルメラを作ってくれた。
(でもこの人は酒乱だった。)

樫の実保育園、小鹿幼稚園、深谷幼稚園と、いつも置き去りにされ、泣いていた。

今も「小鹿のバンビ〜は、かわ〜いい〜なあ。」の歌がこびりつく。
父親は事業と称して、東京で行方不明だったので、

小さい頃は、しゃべったこともない。会うと泣き出すほどだった。
知らないおじさんと思って怖かったんだろうね?
でも、それが父親を遠ざけたような気がして、ちょっぴり後悔もする。

深谷小学校の低学年の時は、よくできる女の子がいて、
算数も硬筆もその子には全くかなわなくて、とても悔しい思いをした記憶が残る。
中学2年で同じクラスになったが、やっぱり同じ。

彼女は女子でいつも学年トップだった。
(御茶ノ水女子大に行ったと言う話は聞いたが、その後の事は知る由もない。)
小学校4年で転校。

借地を追い出されて、市営住宅に入った。
今じゃ考えられないが、簡単に地主に出されてしまった。
父親にあとで怒られたと言うが、行方不明の父親が悪いのだから、

怒るのも筋違い。

でも、今こんな仕事をしていると、「契約が母親でなんで処分できたんだろう?」
「建物の滅失登記はどうしたんだろう?」とか色々な疑問があるが、
昭和40年位のこと、建物の登記もされてなかったのかもしれない。

転校生はやはりいじめられるのが常のようだ。

街中(まちなか)から田舎の小学校に移った。
(まあ50歩100歩だけどね。)
「あかぬけてる。」なんて言葉使われて、意味不明。
たまに帰ってきた父親は、よく服とか色々なものを買ってくれた。
(相変わらず口はきかず。)
いつも洒落た乗用車を運転していた。そんな父親のおかげだったのかしらん?
転校生は少し頑張って勉強した。
そしたら、成績がクラスで1、2番になった。
その時は、テストで席順が決まっていたので、やっぱり一番前になりたかった。
(クラスで推薦されて生徒会にも立候補したが2回も落選。
どうもこのころから落ちるのが得意?)
深谷中学に入ったときには、暗かった。
母親が再婚して、その人が一緒に生活するようになったから。
兄は中2でその人と戦争し、父親のほうに退却してしまったので、

兄はもうその中学にいなかった。
でも、中2でいいクラスにめぐり合い、少し明るくなって、クラス委員長にも選ばれるようになった。

でも、不幸は突然やってくる。マラソン大会の後、視界が段々狭まった。
網膜はく離という病気だった。日大病院に緊急入院し、手術した。

そして入院は4ヶ月近くも続いた。
でも、家にいないことが嬉しかった。
眼帯されて何も見えない生活が3ヶ月位続いたけれど、
看護婦さんが優しかったので苦じゃなかった。
中3になる前の春休みに退院した。
外来の診察日が楽しみだった。

何故って、看護婦さんに会えるからに決まっているでしょう?
でも、授業に出られない間のノートを丁寧に取ってくれた女の子がいた。
分厚い一冊のノートが嬉しかった。
青春だよね。好きだったけど好きとも言えず。
そう、家庭のコンプレックスがあったから。
母親は、経済的に楽になると思って再婚したと思うが、

決してそうはならなかった。

最初の半年位は真面目に会社に行っていたが、段々仕事をしなくなった。
子供も生まれ、母はどうしようもなかった。
だから中3の自分は、子守りが仕事。
11歳年下の弟の育ての親は私なんです。
オシメも、ミルクも私がやった。
弟は、生まれつき血小板が少なく、そのためまずいミルクを飲まされよく泣いた。
197○年4月、ノートをとってくれたその彼女のおかげで、

地元では進学校の熊谷高校に入学した。
少し体格も良くなったので、やっぱり兄と同じく戦争を仕掛けた。
で、高校1年から安普請のアパートで一人暮らし。
当然、いけない子達の憩いの場と化す。
1年の1学期だけクラスで10番くらい。その後は卒業するまでずーとビリ。
それも学年でビリのおまけつき。ここまで来ると有名人。

熊谷駅で嫌いな男の子に待ち伏せされた。
ドロップアウトの子の部活の定番は応援団と決まっている。
私は応援団長になったが、一度も応援に出かけたことがない。
(体育館の壮行会のみだ。)

唯一の出張応援の機会は、甲子園の県予選だったが、私は盲腸で入院していた。
あまりにもの不甲斐ない応援ぶりで、OBから大変ヒンシュクを買ったらしい。
こういうところは、私は本当についている。
修学旅行も夜中に抜け出したのが発覚して、旅館謹慎。
京都の町も夜しか知らない。

入った店は「ある恋の物語」と、店の名前が洒落ていた。

高校3年間は、「積み木くずし」の時代だった。
でも、それでも卒業できたのは、やはり熊谷高校だったから?
授業もほとんど出ていなかったので、退学届も書かされた。
卒業式は、本当に卒業証書がもらえるのかドキドキしていた。
(でも「来るな。」とは言われていなかった。)

卒業したのはいいけれど、就職指導なんてなかったので、とりあえずは素浪人。
浪人したって、予備校へ行くわけでもなく、バイトしながら夜は赤提灯。

赤提灯のマスターに受験間近の1月に怒られた。
「中途半端なこといつまでもしているな!大学行くなら勉強しろ!」って。
出入り禁止になって猛烈に勉強した。
国語と英語は少し貯金があったので、世界史だけ、とにかく暗記。
それでも世界史はいくらも点が取れなかったが、

日大の経済と法学部だけが引っかかった。
法学部の方がカッコいいでしょう?だから私は日大法学部の卒業です。
でもね、一度レールを外しちゃうと、中々優等生にはなれないんです。
日大カラス軍団に追われ、やはり授業はほとんど受けなかった。
(親不孝モンです。)

それでもいい友達はいるものです。

やっぱりノートを貸してくれるいい友達が・・・・。
日大オールラウンドスポーツクラブの仲間がね。
その人達、1年の時の同じクラスの仲間同士で正式なクラブを作ったんだ。

自分はカラス軍団にいたけど、逃げ回っているのを知って、

よく声をかけてくれた。

だから、今ではゴルフのOB会でも、飲み会でもほとんど出席。
彼らのおかげで、可山優三で卒業できました。
私立文系、成績表がほとんど可しかない私が就職できるのは、営業だけでした。
就職活動は4年生の10月から始めて、

「どうせ営業なら、数沢山売らなくてもいいものにしよう。」と思い、
選んだのが住宅です。「数沢山でない方が楽だ。」と思ったんです。
ミサワホームと大和ハウス。

大和ハウスに行くつもりでしたが、転勤が多そうだったので、
ミサワホームを選びました。ミサワホームはディーラー制でしたので、

埼玉だけだったんです。

やっぱり母の近くにいてあげたいと思った。

198○年3月、日大法学部を無事卒業して、
4月にサイサンミサワホーム(現ミサワホーム西関東)株式会社に入社。
入社当時はパンチパーマでしたが、最初の赴任先の行田営業所で、
ちゃんとした社会人にしてもらいました。
ミサワに入ってからは意外に順調で、1年目に13棟契約して新人賞。
2年目に19棟契約して、係長にしてもらいました。

(18棟で係長に昇格、売れなければ降格の世界。)
行田の地に配属というのも私には良かった。

熊谷市の隣りですので、「熊谷高校出身です。」と言うと、
結構可愛がってもらえた。

高校時代はあまり学校に行っていなかったのに、

しっかりその辺のネームバリューは使った。
それで調子に乗って勢い余って、結婚までしちゃいました。
(お客様にご祝儀まで頂いて恐縮です。)
3年目に浦和(現さいたま市)に転勤。
ここでは苦労しました。

県北のほうは結構、企画(規格)住宅で売れていたのですが、
県南は土地も狭くなるので、ほとんど自由設計。
なんせ私は私立文系。注文住宅のプラン設計が苦手でした。
でも、ここにもいい先輩がいて、プランと遊びを教えてもらいました。
(まあ、この先輩に誘われて平成2年にミサワを辞めることになるんですけど・・・・。)

4年目からは春日部市に行き、5年で80棟ほど売って営業課の責任者になった。
6年目は年上の課員をうまく使えず、挫折。
7、8年目は新卒中心の課員構成でやっての同行三昧。体もたず。
朝から晩まで会社で、子供はなつかないし、
(あら不思議?子供の時の自分だわ。)
「パパなんかゴミ箱にポイッとしちゃうの。」なんて言われる始末。
(カミさんが言わせた?)

辞める年の3月に、課で10棟やって「燃え尽き症候群」。

1990年、先輩と独立。妻は別にとめませんでした。
バブルに乗ってバンバンと土地を買って、建売をやり、

家が完成する頃はバブルが崩壊。
売っても利益なんて出やしません。1992年には撤収。先輩ともさようなら。
その後その先輩は成功して、沢山の賃貸マンションの受注をとり、
よく私を夜のクラブ活動に誘ってくれた。
1996年3月からは、有限会社こもだ建物を設立し、

とても地味に仕事をしています。
あっという間の9年間。相変わらず建売分譲をやっても儲からないので、
土地の仲介、建設工事を中心に、お客様とのご縁が頼りで仕事をしてます。

ミサワ時代からだと20年以上のお付き合いの方も沢山いらっしゃる。
とても幸せなことですね。

そうそう、日大法学部の友人だって、ちゃんと弁護士になった人だっています。
たまに仕事くれます。

無料電話相談もやってもらいます。でも肝心な時につかまらない人です。

(避けられてるだけ?)

またミサワで1985年1月に契約を頂いた時に、

契約に立ち会っていた御施主様の中学生が、
やはり今、弁護士をされています。

(さいたま市条例違反の時は大変お世話になりました。)
時の流れは本当に早いもの。

大学の仲間もすっかりみんなおじさんで、かく言う私も大学生1人、高校生2人の
デカい息子3人の父親です。

仲間の中には、私が仲介したり、家を建てたりの人もいます。
(ローンも大変だぜぃ。)

うちの長男も大学3年生。

うちにきているミサワの出向社員なんか、長男といくらも年が変らない。
そう思うと、今うちに来ている子、偉いよねえ。

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さっそく今月号のニュースレターと送っちゃった。

「あら、昔オイタしたの?」なんていわれちゃうかしらん????

また身内から「恥さらし!!」って言われそうです。